山主紹介

増田 友厚(ますだ ゆうこう)
長野県佐久市出身 千葉大学卒業後に県内中学校の教諭になり国語と社会を教えた。26歳のとき、仏法について学ぶため横浜市鶴見区の總持寺の座禅会に参加した。参加をきっかけに心境に変化が生まれ30歳で教員を退職し、總持寺での修行を経て地元に戻った。寺の住職となり、また民生児童委員や保護司、教育委員会の委員なども務めた。2021年12月19日大雄山最乗寺の山主に就任。

一味同心に生きる(大雄6月号より)
能登半島地震から四か月目を迎えます。新春を迎えたその日、北陸の広い地域が甚大な災禍に遇われました。深い悲しみにある関係者の方々にお悔やみ申し上げ、また、被災された皆様にはお見舞い申し上げます。

連日、心の声が伝えられます。「何回ここに立っても涙がこぼれます。」「ここに住みたい、もう長くはないのだから。」「今だに水はでません。」・・・・。報道される被害の大きさに心を痛めながら、各地から様々な支援が寄せられています。

ご承知のように、本年は大本山總持寺を開創された瑩山禅師の七百回大遠忌(ご法事)を迎えます。総持寺は明治二一年火災による伽藍喪失により、横浜鶴見が丘に移転されるまで、更には、祖院として再建されて今日まで、門前町にあって長く支えられてきたご縁とご恩を改めて感ずるところです。

瑩山禅師は「大慈悲心の誓願に生きられし禅師様」と慕われ、永平寺の道元禅師の仏法を受け継ぎ、村々の人々に寄り添い嚙みくだいて説かれました。鎌倉時代後期のその時代は、飢饉、洪水、地震、疫病等が続きました。瑩山禅師は諸々の困難の中に生きられ、「一味同心」(皆で心を一つにして)を示され、「和合和睦の思いを生ずべし」と説かれました。この「生ずべし」に禅師の強いお気持ちが込められていることに気付きます。もし、「『和合』の思いが他人事であるなら、つらいお方の身になってその思いを耕し、深めたい」と。

かつての多くの災害と同様に、長い確かな支援が求められています。大雄山も皆さまと一緒に、一日でも早い復興と安寧を願い、じっくりと進めさせて頂きます。ご助法の程お願い申し上げます。